若いときは貯蓄が少ないので入院した途端に貯蓄が乏しくなりかねません。また、入院中は弱気になりがちです。そこに入院費の心配も加わります。医療保険で多少なりとも給付金が受け取れれば、保険をかけておいてよかったと思うでしょう。
だからシングルでも医療保険はかけておきましょう。医療保険の一般的なタイプは病気や怪我で入院した場合に1日あたり数千円の「給付金」が出ます。手術を伴う場合は数万円の「手術給付金」が別途受け取れるというのが一般的な形です。
医療保障を得るかけ方は、大きく分けて2つあります。1.「単独」の保険でかける(医療保障だけの確保のため)2.死亡保険に「特約」としてつける(死亡保障も医療保障も両方確保)
皆さんにお勧めするのは「単独」の医療保険への加入です。テレビのCMでよく見るタイプはこちらです。死亡保険の方は必要になったら別途加入することにします。シングル時代は死亡保障は必要ありませんし、60代、70代など人生の後半でも死亡保障が必要なくなる人がほとんどです。
死亡保険に「医療特約」の形でつけると死亡保障が必要ないと思っても医療特約だけを続けられません。単独保険で死亡保障と医療保障を切り離しておけば、それぞれ必要な時に柔軟に見直すことができます。
では、どれくらいかけておけばよいか、ということです。医療保険は各社から色々発売されていますが、大きく分けると次の要素で決まります。
1.入院1日あたりの給付金の額
入院1日あたり3,000円くらいから加入可能ですが、各社のパンフレッドでは日額1万円が多くなってきました。
2.いつから最長何日分まで入院給付金が受け取れるか
少し前までは入院5日目、あるいは8日目から対象となり、ひとつの病気による入院で120日まで受け取れるのが一般的な加入の仕方でした。最近は入院の日数自体が短期化する傾向があります。そこで出てきたのが1日目から出るタイプです。中には日帰り入院でも給付金が受け取れる保険も出てきています。
また、長生きする時代が意識されてきたため、保障が一生続く終身タイプが主流になってきています。終身タイプなら老後の入院時でも安心です。保険会社としては終身タイプは保険料を高くせざるをえませんが、最長日数を60日や45日と短くした保険を登場させました。これにより日額1万円の医療保険でも払える保険料になっています。
では、具体的にどれくらいかけておけばよいのかという点です。入院費はそもそも貯蓄から賄えるようにしておくのが基本です。高
額療養費制度もあるので、給付金で入院費の一部をカバーできればよいと考えたほうがいいでしょう。
大事なのは、どれだけかけるかよりも保険料が負担にならない範囲でかけるということです。家族ができても、老後になっても、払っていける保険料に抑えることをお勧めします。
そして、お勧めは祝い金などがついていないシンプルなタイプです。祝い金タイプは祝い金支払いのための積立て部分が保険料に上乗せされているので得をするわけではないのです。
ちなみに1万円の給付金が出る終身タイプの保険では、25歳の女性が加入すると3,310円です。5,000円の保障なら保険料もその半分です。貯蓄が中々できないなら、保障を抑えて、その分を積立てに回しましょう。
何でも「面白いな」と思える人が勝つ
2020/2/6
終身雇用、年功序列がきちんと機能していた時代は、そこそこの会社に一度就職しさえすれば、あとは企業内でどう生き残るかを考えるだけでよかった。ところが今は、一流企業のサラリーマンもリストラの不安に怯える時代である。何を頼りにしたらいいか、多くのサラリーマンは戸惑っている。
その戸惑いの最大のものは「会社とどう向き合うか」ということであろう。中には新しい資格を取って転職に備える人間もいる。また、上司との関係を上手く保って、リストラの心配を払拭しようと努力する人もいる。しかし、現実問題として資格の取得も人間関係も「絶対」ではないから、不安はますます増大し、鬱になったり自殺したりする。
近年、中高年の自殺が増えているのは、サラリーマンの生きがい喪失の不安が大きいからだと思う。だが、不安や心配を無くそうとするのはやめたほうがいい。なぜなら無くならないからだ。「先行き不安」などというが、将来とか先行きは、いつだって不安なのだ。
高度成長期のサラリーマンは、今と比べれば不安が少無かったかもしれない。だが、あのような時代はもう戻ってこない。「皆が安心できる企業社会は、60年代から80年代へかけて日本がもっていた特異な形態だった」(山岸俊男北海道大学教授)からである。あらゆることでグローバル化が進んでいる日本の現状を見れば、これから先の日本がどうなるかは、むしろ欧米の社会を見たほうがよい。
好むと好まざるとにかかわらず、日本社会も国際標準に近づいていかざるを得ない。地球がこれだけ狭くなった今、それ以外の選択肢はないのだ。欧米事情に詳しい評論家の竹村健一さんは「日本の常識は世界の非常識」が口癖だが、この言葉の意味を正しく受けとめている人は意外に少ないようだ。
竹村さんが言っていることを裏返せば、「世界の常識は日本の非常識」ということになる。つまり、われわれが常識と疑わないことは世界ではあくまで特異なのである。たとえば「定年後をどう生きるか」は、日本では結構重い問題として扱われている。仕事を生きがいにしてきたサラリーマンから、仕事を取り上げてしまうのが日本の定年制と考えられているからだ。
生きがいを失った定年者は、この先どう生きればいいのか戸惑いを覚える。定年後の生き方は、日本ではマイナスの問題として論じられることが多い。だが、欧米では話か逆になる。定年をみんなが楽しみに待っているのだ。殆どの人が若い頃から定年を待ち望み、第二の人生の計画を立て、周到に準備し、定年後は残された人生を満喫する。およそ日本では考えられない光景である。
2007年から団塊の世代が定年を迎えているが、これに関連して、今いわれていることは「定年の延長」「熟年離婚」「年金暮らし」「技術の継承」とお固い話題ばかり。「待ってました、定年!」といった明るい話はあまり聞こえてこない。それどころか働き盛りのサラリーマン層までも、団塊の世代につられるように先行きに不安を抱いていて元気がない。どんな時代でも、どんな社会であっても、先行きへの不安は伴うものだが、この不安とどう付き合って行くかが問題なのだ。
この点について、先の山岸俊男さんはこういっている。「これからの時代は、聡たる不安と上手く付き合えるかどうかが重要で、どんな仕事で収入を得て、どう生きていくのか、一人ひとりが考えなければならない。それを面白いと思える人は勝ち、気弱になる人は負けの時代ともいえる」この意見に私も賛成する。
どんな人生も山あり谷ありで、いいことばかりではないが、どんな境遇にあってもヘコむのではなく、何でも面白がれる体質で臨むこと。それが難関を乗り切り、明るい未来を築く基本的な条件ということだ。
PR:消費者金融
その戸惑いの最大のものは「会社とどう向き合うか」ということであろう。中には新しい資格を取って転職に備える人間もいる。また、上司との関係を上手く保って、リストラの心配を払拭しようと努力する人もいる。しかし、現実問題として資格の取得も人間関係も「絶対」ではないから、不安はますます増大し、鬱になったり自殺したりする。
近年、中高年の自殺が増えているのは、サラリーマンの生きがい喪失の不安が大きいからだと思う。だが、不安や心配を無くそうとするのはやめたほうがいい。なぜなら無くならないからだ。「先行き不安」などというが、将来とか先行きは、いつだって不安なのだ。
高度成長期のサラリーマンは、今と比べれば不安が少無かったかもしれない。だが、あのような時代はもう戻ってこない。「皆が安心できる企業社会は、60年代から80年代へかけて日本がもっていた特異な形態だった」(山岸俊男北海道大学教授)からである。あらゆることでグローバル化が進んでいる日本の現状を見れば、これから先の日本がどうなるかは、むしろ欧米の社会を見たほうがよい。
好むと好まざるとにかかわらず、日本社会も国際標準に近づいていかざるを得ない。地球がこれだけ狭くなった今、それ以外の選択肢はないのだ。欧米事情に詳しい評論家の竹村健一さんは「日本の常識は世界の非常識」が口癖だが、この言葉の意味を正しく受けとめている人は意外に少ないようだ。
竹村さんが言っていることを裏返せば、「世界の常識は日本の非常識」ということになる。つまり、われわれが常識と疑わないことは世界ではあくまで特異なのである。たとえば「定年後をどう生きるか」は、日本では結構重い問題として扱われている。仕事を生きがいにしてきたサラリーマンから、仕事を取り上げてしまうのが日本の定年制と考えられているからだ。
生きがいを失った定年者は、この先どう生きればいいのか戸惑いを覚える。定年後の生き方は、日本ではマイナスの問題として論じられることが多い。だが、欧米では話か逆になる。定年をみんなが楽しみに待っているのだ。殆どの人が若い頃から定年を待ち望み、第二の人生の計画を立て、周到に準備し、定年後は残された人生を満喫する。およそ日本では考えられない光景である。
2007年から団塊の世代が定年を迎えているが、これに関連して、今いわれていることは「定年の延長」「熟年離婚」「年金暮らし」「技術の継承」とお固い話題ばかり。「待ってました、定年!」といった明るい話はあまり聞こえてこない。それどころか働き盛りのサラリーマン層までも、団塊の世代につられるように先行きに不安を抱いていて元気がない。どんな時代でも、どんな社会であっても、先行きへの不安は伴うものだが、この不安とどう付き合って行くかが問題なのだ。
この点について、先の山岸俊男さんはこういっている。「これからの時代は、聡たる不安と上手く付き合えるかどうかが重要で、どんな仕事で収入を得て、どう生きていくのか、一人ひとりが考えなければならない。それを面白いと思える人は勝ち、気弱になる人は負けの時代ともいえる」この意見に私も賛成する。
どんな人生も山あり谷ありで、いいことばかりではないが、どんな境遇にあってもヘコむのではなく、何でも面白がれる体質で臨むこと。それが難関を乗り切り、明るい未来を築く基本的な条件ということだ。
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— posted by ラスター at 03:41 pm
京都は新選組が有名だったけどこの歴史ってどんなの?
2020/1/28
新選組は幕末時代に京都に存在した組織の名称です。新選組は元々、当時の将軍である徳川家茂を警護する目的で集められた浪士の組織でした。
この頃は浪士組という名称で、現在私達がイメージする新選組とはまったく別な組織と言ってもいい存在です。浪士組誕生の翌年、京都に居た浪士組は江戸に戻るかどうかで分裂し、江戸に戻らず京都で将軍警護を続けるべきだと主張したのが新選組の隊員としても有名な近藤勇や土方歳三です。
こうして浪士組の1部が京都に残ることになり壬生浪士組と名乗ることになります。その後、京都での警備活動などが高く評価され新選組という名称が与えられ、現在でも高い人気を集める新選組が誕生した形です。
新選組は1864年、有名な池田屋事件で尊王攘夷派の志士を殺害、捕縛し一躍有名な存在になります。尊王攘夷派の志士達にとっては恐ろしい存在でしたが逆の立場の朝廷や幕府からすれば任務に忠実な精鋭部隊といった存在で、その影響力を強めていきます。
隊員の数も徐々に増えていき最終的には200人を超える大所帯だったと言われています。しかし1867年に徳川慶喜が大政奉還を実行すると風向きは大きく変わります。
新選組は旧幕府軍とともに戊辰戦争に参戦、新政府軍と戦いますが敗北の連続で江戸へと撤退、その後も敗戦を繰り返しながら北へと移動しながら無謀な戦いを繰り広げます。
200人以上いた隊員は不利を悟って離脱していき、やがては現在の北海道にまで追い込まれます。土方歳三が戦死し、補給もままならない状態で物資も底を付いて新選組は五稜郭で新政府軍に降伏し完全に消滅します。
日本という国が大きく変わる時代で翻弄された存在とも言えるでしょうか。明治時代の頃は新政府軍の敵として悪役的存在として語られることがほとんどだった新選組ですが、現在では個性的な隊員達が人気なこともあり、その評価は変わっています。
京都を中心に活動し、今でも高い人気を誇る新選組にまつわる史跡や名所はいくつかあります。
光縁寺・旧前川邸
光縁寺は四条大宮駅のほど近く、綾小路通に面しています。当時、新選組もこの光縁寺をよく利用しており、今でも敷地内には新選組の総長である山南敬助のお墓をはじめ多くの隊士のお墓があります。
その他にも新選組が使ったとされる馬小屋が残っていたり、山南敬助家の家紋と寺紋が同じであったりとなにかと深い縁を感じさせるお寺です。
供養料として100円を納めれば見学できますので新選組ファンなら1度は見ておきたい名所です。アクセスも良いので京都旅行の際には気軽に行けるのも魅力です。
また、光縁寺のすぐ近くには新選組が八木邸の後に屯所として使っていた旧前川邸もあり、土日の10時から17時までの間、邸内の一部を限定で公開しています。多くの隊士がこの旧前川邸で生活をしており、当時の雰囲気を感じることができます。
壬生寺
新選組が訓練をするために使っていたお寺で、新選組の前に使われていた名称である壬生浪士組と同じ壬生という言葉が使われています。
境内には壬生塚と呼ばれるお墓があり、ここには芹沢鴨を始めとした新選組隊士のお墓があります。8時から17時まで時間帯で境内に入ることができますが壬生塚は8時30分から16時30分までの時間になっているので注意してください。
さらに壬生塚を見るためには100円の拝観料が必要です。壬生塚には近藤局長の像も設置され、広い境内は新選組が訓練に励んでいた様子を思い伺わせます。
池田屋事件跡地
新選組といえば池田屋事件ですが、その跡地が中京区三条通にあります。現在は居酒屋さんとして池田屋の名称は残っており、その店前に石碑が設置されています。
池田屋事件は日本の形が大きく変わる激動の時代の始まりを告げる象徴的な事件ですし、新選組ファンでなくても見ておきたい史跡でしょう。この場所で歴史に残る事件が起きたと考えると感慨深いものがあります。
この頃は浪士組という名称で、現在私達がイメージする新選組とはまったく別な組織と言ってもいい存在です。浪士組誕生の翌年、京都に居た浪士組は江戸に戻るかどうかで分裂し、江戸に戻らず京都で将軍警護を続けるべきだと主張したのが新選組の隊員としても有名な近藤勇や土方歳三です。
こうして浪士組の1部が京都に残ることになり壬生浪士組と名乗ることになります。その後、京都での警備活動などが高く評価され新選組という名称が与えられ、現在でも高い人気を集める新選組が誕生した形です。
新選組は1864年、有名な池田屋事件で尊王攘夷派の志士を殺害、捕縛し一躍有名な存在になります。尊王攘夷派の志士達にとっては恐ろしい存在でしたが逆の立場の朝廷や幕府からすれば任務に忠実な精鋭部隊といった存在で、その影響力を強めていきます。
隊員の数も徐々に増えていき最終的には200人を超える大所帯だったと言われています。しかし1867年に徳川慶喜が大政奉還を実行すると風向きは大きく変わります。
新選組は旧幕府軍とともに戊辰戦争に参戦、新政府軍と戦いますが敗北の連続で江戸へと撤退、その後も敗戦を繰り返しながら北へと移動しながら無謀な戦いを繰り広げます。
200人以上いた隊員は不利を悟って離脱していき、やがては現在の北海道にまで追い込まれます。土方歳三が戦死し、補給もままならない状態で物資も底を付いて新選組は五稜郭で新政府軍に降伏し完全に消滅します。
日本という国が大きく変わる時代で翻弄された存在とも言えるでしょうか。明治時代の頃は新政府軍の敵として悪役的存在として語られることがほとんどだった新選組ですが、現在では個性的な隊員達が人気なこともあり、その評価は変わっています。
京都を中心に活動し、今でも高い人気を誇る新選組にまつわる史跡や名所はいくつかあります。
光縁寺・旧前川邸
光縁寺は四条大宮駅のほど近く、綾小路通に面しています。当時、新選組もこの光縁寺をよく利用しており、今でも敷地内には新選組の総長である山南敬助のお墓をはじめ多くの隊士のお墓があります。
その他にも新選組が使ったとされる馬小屋が残っていたり、山南敬助家の家紋と寺紋が同じであったりとなにかと深い縁を感じさせるお寺です。
供養料として100円を納めれば見学できますので新選組ファンなら1度は見ておきたい名所です。アクセスも良いので京都旅行の際には気軽に行けるのも魅力です。
また、光縁寺のすぐ近くには新選組が八木邸の後に屯所として使っていた旧前川邸もあり、土日の10時から17時までの間、邸内の一部を限定で公開しています。多くの隊士がこの旧前川邸で生活をしており、当時の雰囲気を感じることができます。
壬生寺
新選組が訓練をするために使っていたお寺で、新選組の前に使われていた名称である壬生浪士組と同じ壬生という言葉が使われています。
境内には壬生塚と呼ばれるお墓があり、ここには芹沢鴨を始めとした新選組隊士のお墓があります。8時から17時まで時間帯で境内に入ることができますが壬生塚は8時30分から16時30分までの時間になっているので注意してください。
さらに壬生塚を見るためには100円の拝観料が必要です。壬生塚には近藤局長の像も設置され、広い境内は新選組が訓練に励んでいた様子を思い伺わせます。
池田屋事件跡地
新選組といえば池田屋事件ですが、その跡地が中京区三条通にあります。現在は居酒屋さんとして池田屋の名称は残っており、その店前に石碑が設置されています。
池田屋事件は日本の形が大きく変わる激動の時代の始まりを告げる象徴的な事件ですし、新選組ファンでなくても見ておきたい史跡でしょう。この場所で歴史に残る事件が起きたと考えると感慨深いものがあります。
— posted by ラスター at 04:26 pm
「雇われない生き方」ができるか?
2019/11/30
「すまじきものは宮仕えだよ」日本経済が高度成長していた頃のサラリーマンは、居酒屋などでこういって嘆いたものだ。だが、この嘆き節を額面通り受け取る必要はなかった。それは会社に雇われているという安心感の表明でもあったからだ。
その証拠に、嘆いて会社を辞めていく人間は滅多にいなかった。だが、バブル崩壊以後は様相がずいぶん変わった。今、宮仕えを嘆く声は少ない。しかし、一生懸命に宮仕えしたところで、リストラされない保証はない。では、どうしたらいいか。会社にいながら「雇われない生き方」をしてみることだ。そうすれば、リストラに怯えない新しい働き方が見えてくるはず。そんな生き方ができるか疑問に思う人もいるだろうが、その気になれば少しも難しいことではない。
やり方は二つある。一つは会社にいながら、起業家になったつもりで振る舞ってみることである。仕事の中身は今のままでいい。そのような職種、業態で起業したと思って取り組んでみるのだ。
たとえば、あなたが営業部の言貝だったとする。今までだったら、一社員として自分に課せられた役割だけをこなせばOKだが、起業となればそうはいかない。営業部全体の発展を頭に入れて、その中で自分自身の仕事をすることになる。
また、自分以外のことで「こうあるべきだ」と思われることは、進んで上司に意見を具申して改めさせる。常に経営的立場から全体を見通した仕事をしなければならない。それでも、自分で経営していると思えば楽しくやれるはずである。
「そんなことまで給料のうちに入ってない」などと考えるようではダメだ。実際に将来独立しようと思っている人間は、そういう視点で会社の仕事に取り組んでいる。給料をもらいながら予行演習をしているのだ。
もう一つは、起業家でなくフリーランス(個人事業家)として振る舞ってみることだ。会社がフリーランスに頼るのは助っ人が必要なときである。ある業務部分が弱体だが諸々の事情から正社員を増やすのはちょっと、などというとき、弱い部分だけを補おうとする。そういう立場に自分を置いてみるのだ。
この場合は役割がはっきりしている。営業であれば「売り上げをここまで伸ばしたい」といった具体的な目標がある。そういう仮説を立てて、自分が助っ人になったつもりで働いてみるのだ。この場合は全体を見る必要はなく、ただひたすら自分の職分の仕事で実績を上げればいい。
起業家もフリーランスも、会社に雇われない生き方をしている人たちだ。会社にいながらそれをやるのはバーチャル(仮想的)でしかないが、リアリティをもって臨めば、本物と変わらない気持ちになれるし、楽しさとやる気が出てくる。
人間には不思議な習性があって、他人から「やりなさい」といわれてすることは、あまり気が進まない。やっても楽しくない。だが、自分から「やろう」と思って始めると、同じことでも意気込みが違ってきて楽しくなる。バーチャル起業家になるメリットはここにある。
また、人は誰かから期待されてすることには自ずと力が入る。「君だけが頼りだ」といわれれば、つらいことでもがんばれる。バーチャルでフリーランスになるメリットは、自己の活性化にも大いに役立つのだ。何より仕事が面白くなる。しかし、そうはいっても「雇われている身」という基本は変わらない。
そのことを考えると、いくらがんばっても給料や出世といった見返りがなければ「徒労だよ」という話になりかねない。最大の問題はここにあるといっていいだろう。
だが、決して徒労になんかならない。第一にそれだけ社内で積極的に振る舞える人間になれば、リストラ対象からは外れるに決まっている。会社はいつの時代も役に立つ人材は残そうとするからだ。
しかし、中にはボンクラ経営者もいないわけではないから、一人社内でがんばっても結果は「徒労」ということも全然ないとはいえない。だが、今の時代の急激な変化を考えれば、それでも会社にいて「雇われない生き方」を試してみることは、将来の自分にとって計り知れないメリットを生むのではないか。
なぜなら近い将来、日本の雇用形態は「会社に雇われない生き方」の人が主流を占めるようになるからだ。アメリカでは雇われない生き方を「フリーエージェント」と呼んでいる。この言葉の名付け親になったアメリカのジャーナリスト、ダニエル・ピンクによれば、フリーエージェントは起業家、フリーランス、臨時社員の三種類に分かれる。
日本でも若い起業家が増え、派遣による臨時社員も急増している。フリーランスはそう多くないが、すでに日本もフリーエージェント社会に突入している。正社員でも、いつリストラされるか、いつ会社が倒産するかわからない現実を考えれば、会社にいながらフリーエージェントの予行演習ができるチャンスを逸するのは「もったいない」ことではないだろうか。
その証拠に、嘆いて会社を辞めていく人間は滅多にいなかった。だが、バブル崩壊以後は様相がずいぶん変わった。今、宮仕えを嘆く声は少ない。しかし、一生懸命に宮仕えしたところで、リストラされない保証はない。では、どうしたらいいか。会社にいながら「雇われない生き方」をしてみることだ。そうすれば、リストラに怯えない新しい働き方が見えてくるはず。そんな生き方ができるか疑問に思う人もいるだろうが、その気になれば少しも難しいことではない。
やり方は二つある。一つは会社にいながら、起業家になったつもりで振る舞ってみることである。仕事の中身は今のままでいい。そのような職種、業態で起業したと思って取り組んでみるのだ。
たとえば、あなたが営業部の言貝だったとする。今までだったら、一社員として自分に課せられた役割だけをこなせばOKだが、起業となればそうはいかない。営業部全体の発展を頭に入れて、その中で自分自身の仕事をすることになる。
また、自分以外のことで「こうあるべきだ」と思われることは、進んで上司に意見を具申して改めさせる。常に経営的立場から全体を見通した仕事をしなければならない。それでも、自分で経営していると思えば楽しくやれるはずである。
「そんなことまで給料のうちに入ってない」などと考えるようではダメだ。実際に将来独立しようと思っている人間は、そういう視点で会社の仕事に取り組んでいる。給料をもらいながら予行演習をしているのだ。
もう一つは、起業家でなくフリーランス(個人事業家)として振る舞ってみることだ。会社がフリーランスに頼るのは助っ人が必要なときである。ある業務部分が弱体だが諸々の事情から正社員を増やすのはちょっと、などというとき、弱い部分だけを補おうとする。そういう立場に自分を置いてみるのだ。
この場合は役割がはっきりしている。営業であれば「売り上げをここまで伸ばしたい」といった具体的な目標がある。そういう仮説を立てて、自分が助っ人になったつもりで働いてみるのだ。この場合は全体を見る必要はなく、ただひたすら自分の職分の仕事で実績を上げればいい。
起業家もフリーランスも、会社に雇われない生き方をしている人たちだ。会社にいながらそれをやるのはバーチャル(仮想的)でしかないが、リアリティをもって臨めば、本物と変わらない気持ちになれるし、楽しさとやる気が出てくる。
人間には不思議な習性があって、他人から「やりなさい」といわれてすることは、あまり気が進まない。やっても楽しくない。だが、自分から「やろう」と思って始めると、同じことでも意気込みが違ってきて楽しくなる。バーチャル起業家になるメリットはここにある。
また、人は誰かから期待されてすることには自ずと力が入る。「君だけが頼りだ」といわれれば、つらいことでもがんばれる。バーチャルでフリーランスになるメリットは、自己の活性化にも大いに役立つのだ。何より仕事が面白くなる。しかし、そうはいっても「雇われている身」という基本は変わらない。
そのことを考えると、いくらがんばっても給料や出世といった見返りがなければ「徒労だよ」という話になりかねない。最大の問題はここにあるといっていいだろう。
だが、決して徒労になんかならない。第一にそれだけ社内で積極的に振る舞える人間になれば、リストラ対象からは外れるに決まっている。会社はいつの時代も役に立つ人材は残そうとするからだ。
しかし、中にはボンクラ経営者もいないわけではないから、一人社内でがんばっても結果は「徒労」ということも全然ないとはいえない。だが、今の時代の急激な変化を考えれば、それでも会社にいて「雇われない生き方」を試してみることは、将来の自分にとって計り知れないメリットを生むのではないか。
なぜなら近い将来、日本の雇用形態は「会社に雇われない生き方」の人が主流を占めるようになるからだ。アメリカでは雇われない生き方を「フリーエージェント」と呼んでいる。この言葉の名付け親になったアメリカのジャーナリスト、ダニエル・ピンクによれば、フリーエージェントは起業家、フリーランス、臨時社員の三種類に分かれる。
日本でも若い起業家が増え、派遣による臨時社員も急増している。フリーランスはそう多くないが、すでに日本もフリーエージェント社会に突入している。正社員でも、いつリストラされるか、いつ会社が倒産するかわからない現実を考えれば、会社にいながらフリーエージェントの予行演習ができるチャンスを逸するのは「もったいない」ことではないだろうか。
— posted by ラスター at 05:26 pm
会社は自分の夢を追う格好の場所だ
起業家やデイトレーダーなど、雇われない生き方を志す若者が増える一方で、フリーター、ニートといった生き方をしている若者も多数出現している。こうした若者の就業変化の背景には、景気の低迷による就職戦線の冷え込みがあるが、「結果オーライだったな」という感想をもっている。
学校を卒業した若者は一人前の社会人だが、社会人になったら就職しなければならないという考え方は狭い了見だったからだ。何も会社に就職せずとも、いろいろな生き方をしてかまわない。不況による雇用状況の悪化が、それを促した格好になった。その結果、若者の間でサラリーマンは以前ほど憧れの職種ではなくなった。
だが、一方で私は、サラリーマンという職業は「自分の夢を追う」のに最高の居場所なのではないかという気もしている。考えてもみてほしい。自分で会社を立ち上げるには、かなりの資金が必要になる。しかも成功確率は低い。規制の撤廃で1円の資本金でも会社は設立できるが、経営そのものにはお金がかかる。3年後、5年後に生き残っている会社はごくごく少数にとどまる。
そのこと自体は問題ではないが、何も苦労して自分でやらなくても、自分の夢が叶いそうな会社を見つけて、そこで実現したっていいわけだ。既存の会社には「資金」「看板(信用力)」「設備」という個人とはケ夕違いの豊富な経営資源がある。
会社に勤めれば、それが全部利用できるのだ。今は会社勤めをしても、生活のために給料をもらえば「よし」とする時代ではない。会社は自分の夢を追う場所と考えてみるのも悪くないと思う。今の会社は昔と違って社員の自由度が増しているから、その気になって行動すれば十分に可能である。
もう一つ、私か勧めたいのは、仮に独立して起業を考えている人も、一度は会社に入って自分の能力を試してみるべきだということだ。最近は学校を卒業するといきなり起業する若い人もいるが、組織のルールやビジネスの常識を身につけるためにも、何年か会社勤めはやってみたほうがいい。自分自身に実力がつくからだ。
起業そのものは昔に比べたら格段にしやすくなっているが、前述したように起業=成功ではない。むしろ失敗する人のほうが多いのは経験不足だからだ。実力が足りないのにいきなりチャレンジするのは蛮勇(ばんゆう)で、決してホメられたことではない。
事業を始めると、つきあう相手はほとんど会社である。ならば、会社とはどういうものか知っておいたほうが絶対に有利なはずだ。「敵を知り己を知れば百戦危うからず」。そのためには外からだけでなく、内に入って見るのが一番なのである。
それも半年や1年では中途半端だ。「石の上にも三年」で、どんな会社であれ最低3年間がんばってみることだ。そうすれば企業や組織の仕組みやルールがわかるようになる。そんな勉強をさせてもらって、給料をもらえるのだから、これほどありかたい存在はない。問題はイヤな仕事で3年もがんばれるかだ。
こういうとき、多くの人がいうのは「目標を作れ」ということだが、遊び心をもって取り組むのがいいと思う。そのほうが自分の能力をよく発揮できるからだ。サラリーマンからプロ棋士になった瀬川晶司さんという人がいる。瀬川さんは子供の頃から将棋が好きでプロ棋士を目指していた。
しかし年齢制限の26歳までにプロ試験に合格できなかった。プロ棋士をあきらめてサラリーマンになったわけだ。だが、趣味で将棋を指すようになったら急に強くなり、アマvsプロ対決で輝かしい実績を上げるようになった。その実績が認められプロヘの道が開かれたのだ。その彼がこんな述懐をしている。
遊び心というのは人をリラックスさせる。リラックスした状態は能力を最高度に引き出す。会社を自分の夢追い場と心得て、楽しく仕事をすればきっとよい結果が得られる。会社の経営資源を活用できるとしたら、こんな恵まれた居場所はないといってもいい。
会社の事業内容と自分のしたいことが一致しない人は、予行演習の場と考えていろいろ試してみればいい。その場合も遊び心をもって楽しく取り組むことが肝心だ。そうすればどんな仕事もきっとよい経験になるはず。今必要なのは「サラリーマンは雇われる身」という既存の会社観を変えることだ。
文学の世界には批評について「他人の作品をダシに己の夢を語ることだ」という有名な言葉がある。これになぞらえれば、「サラリーマンとは、会社という存在をダシにして、自分の夢を追う人のこと」といえるのではないか。試しに会社で偉くなった人間に訊いてみるといい。きっと「その通りだ」というはずだ。
学校を卒業した若者は一人前の社会人だが、社会人になったら就職しなければならないという考え方は狭い了見だったからだ。何も会社に就職せずとも、いろいろな生き方をしてかまわない。不況による雇用状況の悪化が、それを促した格好になった。その結果、若者の間でサラリーマンは以前ほど憧れの職種ではなくなった。
だが、一方で私は、サラリーマンという職業は「自分の夢を追う」のに最高の居場所なのではないかという気もしている。考えてもみてほしい。自分で会社を立ち上げるには、かなりの資金が必要になる。しかも成功確率は低い。規制の撤廃で1円の資本金でも会社は設立できるが、経営そのものにはお金がかかる。3年後、5年後に生き残っている会社はごくごく少数にとどまる。
そのこと自体は問題ではないが、何も苦労して自分でやらなくても、自分の夢が叶いそうな会社を見つけて、そこで実現したっていいわけだ。既存の会社には「資金」「看板(信用力)」「設備」という個人とはケ夕違いの豊富な経営資源がある。
会社に勤めれば、それが全部利用できるのだ。今は会社勤めをしても、生活のために給料をもらえば「よし」とする時代ではない。会社は自分の夢を追う場所と考えてみるのも悪くないと思う。今の会社は昔と違って社員の自由度が増しているから、その気になって行動すれば十分に可能である。
もう一つ、私か勧めたいのは、仮に独立して起業を考えている人も、一度は会社に入って自分の能力を試してみるべきだということだ。最近は学校を卒業するといきなり起業する若い人もいるが、組織のルールやビジネスの常識を身につけるためにも、何年か会社勤めはやってみたほうがいい。自分自身に実力がつくからだ。
起業そのものは昔に比べたら格段にしやすくなっているが、前述したように起業=成功ではない。むしろ失敗する人のほうが多いのは経験不足だからだ。実力が足りないのにいきなりチャレンジするのは蛮勇(ばんゆう)で、決してホメられたことではない。
事業を始めると、つきあう相手はほとんど会社である。ならば、会社とはどういうものか知っておいたほうが絶対に有利なはずだ。「敵を知り己を知れば百戦危うからず」。そのためには外からだけでなく、内に入って見るのが一番なのである。
それも半年や1年では中途半端だ。「石の上にも三年」で、どんな会社であれ最低3年間がんばってみることだ。そうすれば企業や組織の仕組みやルールがわかるようになる。そんな勉強をさせてもらって、給料をもらえるのだから、これほどありかたい存在はない。問題はイヤな仕事で3年もがんばれるかだ。
こういうとき、多くの人がいうのは「目標を作れ」ということだが、遊び心をもって取り組むのがいいと思う。そのほうが自分の能力をよく発揮できるからだ。サラリーマンからプロ棋士になった瀬川晶司さんという人がいる。瀬川さんは子供の頃から将棋が好きでプロ棋士を目指していた。
しかし年齢制限の26歳までにプロ試験に合格できなかった。プロ棋士をあきらめてサラリーマンになったわけだ。だが、趣味で将棋を指すようになったら急に強くなり、アマvsプロ対決で輝かしい実績を上げるようになった。その実績が認められプロヘの道が開かれたのだ。その彼がこんな述懐をしている。
「年齢制限が近づいてくると、すごいプレッシャーを感じて消極的な戦いしかできなくなった。だが、あきらめてアマで指すようになったら、将棋が楽しくなった。楽しく指していたら、プロにもどんどん勝てるようになった」
遊び心というのは人をリラックスさせる。リラックスした状態は能力を最高度に引き出す。会社を自分の夢追い場と心得て、楽しく仕事をすればきっとよい結果が得られる。会社の経営資源を活用できるとしたら、こんな恵まれた居場所はないといってもいい。
会社の事業内容と自分のしたいことが一致しない人は、予行演習の場と考えていろいろ試してみればいい。その場合も遊び心をもって楽しく取り組むことが肝心だ。そうすればどんな仕事もきっとよい経験になるはず。今必要なのは「サラリーマンは雇われる身」という既存の会社観を変えることだ。
文学の世界には批評について「他人の作品をダシに己の夢を語ることだ」という有名な言葉がある。これになぞらえれば、「サラリーマンとは、会社という存在をダシにして、自分の夢を追う人のこと」といえるのではないか。試しに会社で偉くなった人間に訊いてみるといい。きっと「その通りだ」というはずだ。
— posted by ラスター at 05:25 pm